高野山から帰ってきて1週間経った。
余韻に浸りながら練習できるのはいい。
合宿中はSNSほとんど見ずGoogleくらいでそれは快適だった。
たまに距離を置くというのが私には必要。
密教の地である高野山にすっかり魅了されて人の手が入りすぎてないところに美しさがある。
あんなに好きだった京都も興味が薄れるほど。
紹介してもらったハチドリ舎さんというsocial book caféに行ってきた。
6のつく日は被爆体験された方のお話をマンツーマンで自己紹介しながら聞くことができる。
自分で決めつけてる枠みたいなものを広げたくて行くことにした。
横川に当時1歳半で住んでいた岡本さんのお話を伺った。その時の記憶はほとんどないそうだ。(両親と歳が変わらない)
広島の被曝地図を見ながらお話を進めて下さった。昔は7本の川に囲まれた街で今は6本。
建物疎開という制度があり参加するのは女学生や主婦であったそうだ。
岡本さんのお母さんも原爆投下前日に参加し、疲れて6日の8:15は横川の自宅で寝ていた。側には岡本さん、家は無くなり安佐南区の辺りに避難。父親と叔父さんは市内から離れた地で仕事。家族に会えたのは8日。
路面電車は8日からもう走っていた。
被曝列車として今も3台残っているそう。
岡本さんの親戚やご両親は体験について一切語ろうとはしなかった。岡本さん自身、リタイアされて自分のルーツを知りたくなり当時の事をご自身で調べ、語り継ぐ活動をされている。
それが晩年の使命かのように。
原爆資料館はこのほどリニューアルされ賛否両論あるがお話を聞いたことでそれまでの恐怖感より知りたいという気持ちが強くなった。
終戦したその年に台風が2回やってきて広島の街に残っていただろう放射線も洗い流されたと考えられている。線量は低かったらしい。
(ここで福島の話になる)
言い方がどうかとは思うが、岡本さんご自身の被曝体験が少しフィルターにかかっているから聞きやすかった。
直接的なお話だときっと私も受け止めきれなかったと思う。
その歴史を知ることもここに来た意味のひとつなのかな。
ハチドリ舎さん、とーっても面白い場所で興味深い取り組みを毎日のようにされてます。
関わりやすさをとても感じる場でした。
気負わず、自然体でいこう〜